意外と当てはまる??『隠れ無価値感』
先日、『無価値感』や『自己否定』について研究して、自分なりにより身近な言葉に言い換えてみた時、意外と当てはまってしまってショックだった……ということがあったので、まとめてみます。
一般的によく聞く『無価値感』の意味
そもそも、私たちがよく聞く『無価値感』の一般的に認知されている意味って、以下のように結構大袈裟というか、重大に聞こえるんですよね。(『無価値感持ってないよ』と自認している人から見た場合です)
- 文字通り、『自分は価値がない』『存在価値が無い』
- もっと言うと、『ありのままの自分では存在価値が無い』・『ここにいてはいけない』
だいぶ重いですねぇ。突き詰めると、つまりは自分の生死の問題に関わってしまうので、自己否定的な感覚を持っているんだろうなということは想像できますね。
ところが、上記のような定義だと多くの人が『無価値感』のザルから振り落とされてしまうような気がするんです。
ここまで自分のこと無価値だとは思ってないし、嫌いじゃないしなぁ。オレには当てはまらないなぁ?
『私は別に無価値感持ってないです』って思っている方、意外と多いんじゃないでしょうか。
『自分は言うほど自己肯定感低くはないし、無価値感なんて持ってるだろうか?』って思う方。
じゃあ、どうして何か新しいことを始めるときに自信無くしたり卑屈になったり、人に褒められても素直に受け取れない、ということが起きるんでしょうか? 無価値感や否定の感覚が無いなら、なんでも素直に受け取れるはずなのに……。
『隠れ無価値感』を炙り出す!
それはもしかしたら、言語化できていない、もしくは自覚していない『無価値感』『自己否定』の思考パターンを持っているからかもしれません。
これまでの人生で、『それ、無価値感の発想だよ?』なんて指摘してくれた人は、あんまり(というかゼロ?)いませんでした。
というわけで、以下に『隠れ無価値感』かもしれない思考パターンをあげてみます。
『隠れ無価値感』持っている人が使いがちであろうフレーズと思考パターン
私がやっても〇〇(ネガティブ)
- 私がやってもできない
- 私がやっても誰も求めてない
- 私がやっても誰も見てない
- 私がやっても応援されないだろう
など。「どうせ」という感覚ですね。
「どうせやっても誰も見てない。だから好き勝手自由にやってみよう」とポジティブに使うのは自分の勇気の糧になるかもしれませんが、ただのネガティブな意味で「私がやっても」というフレーズを使うのは、実はあなた自身の価値を低く見ているということの表れということかもしれません。
〇〇じゃないとダメだ……
- 人の役に立たないとダメだ
- 人に認めてもらわないとダメだ
- ちゃんとしたものじゃないとダメだ
- 頑張らないとだめだ
- 〇〇じゃないとダメだ
『〇〇じゃないとダメ』という条件を自分に課しています。その条件を満たせる自分はOK。でも、それを満たせていない自分はNOT OKという思考です。『条件付きの自己肯定』って感じですね。
本来の健全な自己肯定って、『いいところもダメなところも全部私として認めて受け入れる』というものなんです。だって、子育てに例えたら、自分の赤ちゃんが笑ってても泣き喚いて暴れていても、大変かもしれないけど愛しい我が子でしょう?
だとしたら、上記のような条件付きの自己肯定は、それに反してしまっています……。
さらに、上記のフレーズを応用して、
- もっと人の役に立たないと!
- もっと人に認めてもらうようにしないと!
- もっとちゃんとやらないと!
- もっと頑張らないと!
- もっと〇〇しないと!
と自分を追い立てている時も、この『隠れ無価値感』が発動している可能性があります。
何度も言いますが『もっと勉強して世の中の人に貢献できるように成長しよう!』と自分を成長させるためのポジティブな意図を持って使う分にはあなたの味方になり得ますが、あなたが本当は苦しいのにさらに尻を引っ叩いて苦行を強いるために使っているとしたら、『自虐』しているのと同じなので、『これやってたかも』と気づいたら、一旦止まってみましょう。
類義語
また、参考までに『無価値感』と関連のある・類似性のあるものを以下にまとめておきます。
- 自己否定
- 自分責め
- 不足感
- 罪悪感
- 条件づけ
気づいてしまったら……
もし、今まで自分が『隠れ無価値感』を持っていたことに気づいたら、客観的に『そうだったんだな』と一旦認めてあげましょう。別にあなたのせいではないんです
無価値感を抱く要因
一概には決めつけられないとは思いますが
- 親からかけられた言葉(『ちゃんとしなさい!』など否定されてしまった)
- 学校教育で『評価』され続けた(テストで点数が取れないと『落ちこぼれ』扱いされる)
- 『もっと頑張れ!』という社会全体の価値観
などがあると思います。
余裕がある人は、『よく親から〇〇と言われながら育ったなぁ〜?』など、自分がどうしてその思考パターンを持つようになったのか、ご自分で過去を遡って考えてみるのもいいと思います。
無条件の愛!
『無価値感』とは逆の方向を見てみましょう。
『無価値感』が『条件付きの自己肯定』からくるものだとするなら、その逆は『無条件の自己肯定』です。もっというと、無条件の愛で自分を愛するということです
- できてもできなくてもどっちでもいいやぁ〜
- 〇〇(ネガティブ)でもいい、それも自分だ〜。だって苦手なんだもん♪
という感覚です。『自分の赤ちゃん(あなた)が人見知りでも、暴れん坊で手がかかっても、どんな赤ちゃん(あなた)でもあなたが大好き♡』という親バカになるイメージです
完璧である必要がないワケ
そもそも、この世界って一人でなんでもできるようには設計されていません。得意不得意のデコボコが、巧妙に組み合わさるように設計されています。もし全ての人間が万能なら、生まれてから死ぬまで、全員一人で暮らせちゃいます(笑)
『それ、人間である意味あるの?』って感じじゃないですか?
不得意なことがあってそれをさらけだしていることは、他の人にあなたを『助けさせてあげる』余地を与えているということです!
人間は、他の人を助けてあげた実感がある時幸福を感じます。つまり、何かを『できない』でいることは、それだけ他の人にも貢献しているということです!
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