【完璧主義の弊害】足を引っ張られると……?
完璧主義は、上手く使えば高い品質のものを作ることができるという点で悪ではないですが、いき過ぎるといつまで経っても思うように動けないということになりかねません。慎重さや計画が重要な局面もあれば、フットワーク軽く実行する身軽さが必要な時もあります。
この世界(地球)では、「実際にやった(行動した)人間しか、それを成し遂げることはできない」とい設定になってしまっています。(トートロジーっぽい?)そういうゲーム設定という感覚です。そのためにも、完璧主義の中の足を引っ張る要素を克服して自分の行動に繋げる必要があります。
完璧主義にハマっていると、以下のようなことが起きるかもしれません
いつまでも「準備」し続けてしまう
「これができたら」「いついつになったら」ということを言い続けて、自分のプロジェクトの発表、発信、そもそも作るのに至らないということが起こります。
皇帝も小説の執筆、ブログの執筆、その他のプロジェクトなどやっていることはたくさんあるつもりですが、未だにもうちょっと身軽に動きたいなと感じることは多々あります。こういう時、自分の思っていることを見直すと、大抵「これが終わらないとこれはできない」とか「これができないとやっちゃダメなんだ」みたいな思い込みがあって、とにかく自分独自のこだわりや適切かも分からないルールに囚われているのだと思います。
「できない自分」や「できないアイツ」のことを責め始める
そんなこんなで思うように「行動できていない自分」に対して、「あ〜あ、なんか私行動できてないなぁ」「ここの詰めが甘かったなあ」みたいに自分責めに陥りやすくなります。
自分だけならまだしも、それが外側に向いて「なんであなたはちゃんとできないの?」(逆ギレ)と他の人にも何かと厳しい視線を向けてしまうかもしれません。
でも本当は、誰かに向けている非難の気持ちというのは結局は自分が自分に対して持っている非難(攻撃)の気持ちに他ならないのです。(心理学で言う「投影」や「鏡の法則」と言われているのと同じです)。「私がこんなに頑張ってやってるんだから、お前も同じくらい頑張ってちゃんとやれよ」「私はこういう細かいところもできているんだから、お前もできるようにしておけよ」って言っているということです!
言い換えると、「こうでないといけない」というマイルールがたくさんあって、それを必死で守っているし、相手にもそれを守らせたいという状態なのです。
こうして「自分に厳しい自分」が他の人にも厳しい目を向けて言えると、人間関係がギクシャクしたり、それが結果お仕事自体に影響したり、「頑張っても頑張ってもなぜか満たされない。なぜかあんまり成果が出ない……」などの悪循環に陥ってしまうかもしれません。
完璧主義をゆるめると起きた変化
それでは、皇帝が各種活動を進めていく中で起きた行動パターンや心の変化を紹介します。。主に小説作品の執筆やブログの執筆で得た知見についてのお話になります。
皇帝は「会社で正社員」という身分で働いた経験がありませんが、もちろん正社員の方もそうでない方も、趣味の分野でも、資格勉強の分野でも応用はできると思います。
「どーせ得意なんだから6割7割の力しか出さなくても、結構いけるかもしれん」と思えるようになった
簡単に言うと、「もともと才能あることは6割くらいの力しか出さなくても、人並み以上にはできちゃうよね」ということに気づいたということです。
皇帝の場合、「文章を書く」「一人で考える」「一人で行動する」ということが苦じゃないというか、好きだし、得意だという自覚がありました。
「苦じゃない」「好き」「得意」というのは、「そこに才能がありますよ」「あなたにあっていますよ」のサインです。
「書くのが苦じゃないし好き」ということは「書く才能」があるということです。
だから、「もともと書く才能ある皇帝がちょちょっと書いたって、それは人様に見せられないほどの酷い文章になるわけじゃないってことだし、気楽にやっとけばいっかぁ」という気持ちにだんだん変わっていきました。
その結果、なんとなく安心して小説を発表したりブログを投稿したりできるようになったという好循環が生まれるようになっていきました。この安心感が、自分の能力を引き出してくれます。そのためにも、自分が「できない」ことを埋めようとするよりも「できちゃう」ことを探してそこにファオーカスし続けることをお勧めします。
補足
「自分が得意で苦にならないこと」の場合でお話ししましたが、「苦手」なことをやらないといけない時は、「得意じゃないからこそ開き直って6割くらいの力でいいや」という体力温存戦略も可能ですし、自分の元々の能力が高いと自負しているのであれば、「これに関しては苦手な分野だけど、私嫌いなことでもできちゃうタイプだし6割の力だけ出しておけばいいや」と思っておく戦略もあるでしょう。
一度に全部仕上げなくてもいい
文章を書くのも、勉強も、お仕事も、一度に全て仕上げなくてもいいです。コロンブスの卵です。ちょっとパソコンで大まかに書いてから、外出先のスマホでちょこちょこ書き直したっていいんです!(これ、自分に言ってる)
一度で終わらすのではなくて、「ちょっと不十分かな」と感じるくらいまでの作業を複数回繰り返す方が実はどんどんブラッシュアップされると思います。
実際、80%の完成度を一度で目指すよりも、60%の完成度を二回繰り返す方が最終的な完成度が高くなるという研究もあります!【安宅和人(2010)『イシューから始めよ 知的生産のシンプルな本質』, 英治出版】
なんせ完璧を目指すと、持ち前のガチの完璧主義が働いてしまって本当に永遠に終わらないので、完璧主義タイプの人は、意図的に手を抜いた方が速くかついいものが生み出せるのかもしれませんw
「書きかけ」でも喜ばれる
WEB小説の投稿も、皇帝は堂々と「書きかけです」と言って発表しています(笑)。最初は「書きかけって発表してもいいのかなぁ〜」と想いもしましたが、実際やってみると意外とちゃんと読まれます。おもしろいですw
見方によっては、最初から完璧な作品が見たいんじゃなくて作品がどんどん出来上がっていく様をみるのが楽しいのかもしれないですね。
映画やドラマの「メイキング映像」というものが特典でついているのは、「作品ができるまでの過程が知りたい」というニーズに応えているからであり、実際にそのようなニーズもあるんでしょう。
こういうことが分かって(認めた)からは、いちいち完璧な文章に仕上げようとするのやめました。
「時間内にできたもんが実力」
完璧を目指さなくなったのは、「だってどうせできちゃうし」という感覚や「作業途中でも意外とウケてる」という安心感のおかげでもあるのですが、結局は「時間内にできたもんが実力だ」って割り切れたからです。
今作っている作品も文章も、いつかは発表しなくてはいけなくて、その発表する期限までに自分で作れたものが私の精一杯であり、それ以上を目指すのは現実的ではないから、とにかく「書きかけでもなんでも出し続けよう」という気持ちでやっています。
文章を何度も推敲しなくなった
以前は文章をパソコンで書いて、iPadに移して手書きで推敲の赤チェック入れて……という作業をしていましたが、これをいちいちやっているとマジで時間が足りなくなります。
今でも過剰に推敲したくなったら、「そんなことしなくてもちゃんと書けてるよ!」って言い聞かせるようにしています笑
成果よりも、「自分がそれをやったこと」自体に自信が湧いてくる
成果と言うと、ブログやWEB小説の投稿で言うとPV数でYouTubeで言うと再生回数やチャンネル登録者数、報酬に当たると思います。
本当に自分がやってみたいと言う気持ちでその活動を始めたのなら、「再生回数が何回だから成功」という気持ちよりも、「やりたいからやった。そしてそれができた!」ということの方に満足感が湧いてくるような気がします。そしてそれができた自分に対して、「よくやった」と自信が湧いてくるようになるのです。
こだわりを見直すと、意外と手段はたくさんある!
自分が持っているこだわりや方法論というのは、見直してみると意外と合理的ではない場合もあります。
「自分がそれにこだわっていたいだけ」「実はいらないこだわり」を持ち続けているかもしれません。
- 本当にそのルールは適切か? 実際に効果あるのか
- そのルールをずっと使いたいか?
- 頑なになりすぎていないか?
などを冷静に見直すと、意外と「あ、これいらねー」と気づいてスッと緩みます。
皇帝の場合は、「文章はパソコンの前に座って書かないと」みたいに思っていましたが、「別にスマホのWordアプリ使って寝っ転がりながら書いてもいいじゃないですか(笑)」と分かったら、机の前に座ってパソコン開かないという行動の制限を緩めることができました。
最後に
自己否定の見直し
完璧主義が牙を向くと、思うように動けなくなりますよね。
「いいものを作りたい」と思っていたはずのものが、「これくらいのできだと自分は認められないんじゃないか(認めてほしい)」という自分を卑下する感覚にすり替わっていたりもします。
客観的にその気持ちの根本を見直していくと、「自己否定」や「無価値感」につながっているかもしれません。
行動すること自体も大事ですが、それと同時に「行動しない行動」を引き起こしているかもしれない「自分なんて〇〇だ」などの自分のネガティブ思考にも注意して観察してみてください。
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