【無職日記①】「やらなきゃいけないこと」からは解放されても「自分」からは逃げられない

無職日記

今年の3月に大学卒業したけど、職にはついてないので、『住民票異動』等の公的手続き以外は、「やらなきゃいけない」ことがほとんど無い1ヶ月間だった。学校の課題も給料のための仕事も無い、本当の意味で自由な時間だった。(マジで赤ちゃんの時以来w)

自由な時間の功罪

カフェでぼーっとしたり、ぶらぶら歩き回ったり、家でAmazonプライム見たり、ちょくちょく創作したり、私なりに自由に過ごした。

何時に起きてもいいし、誰にも会わなくてもいいから精神的に穏やかな時間を過ごせた反面、変な焦燥感が込み上げてくることもしばしばあった。「本当に何もしてない(つもりだ)けど、これでいいのかな? 大丈夫かな〜?」みたいな。

学校とか社会に「何かしていないといけない」(資本主義とか生産至上主義)みたいな価値観を植え付けられていただけで、別に何もしないことが悪いんじゃない。(人間も動物も、地球も、もともとヒマ)

そういう罪悪感(だと思わされてきたもの)や焦りを感じたくないがために、人はわざと自分を忙しくさせる節があるのかもしれない。「いざそういう時間を作って自分と向き合ってみたら、自分の本当の夢に気づいて『わたし・オレいったい何やってるんだろう……?』て思ってしまったり、理想と今の現実とのギャップに打ちのめされてしまうかもしれないから、見えないように蓋をしておこう…」みたいな(こわっ)

「ああ、だから人って働くんだ〜」って思った。もちろん理由はそれだけじゃ無いかもしれないけど、深いところまで見ると、忙しいこと自体にそういうメリットがあるのかもしれない(プライベートでも、本当はやらなくてもいいことを、さも「やらなきゃいけないこと」みたいに思ってしまう・思いたくなることあるよね?)

私もこの1ヶ月間でなんとなく不安になった時は、現実逃避のために意味もなくスマホいじってみたり、映画見て楽しい気分になろうとしたことがあった……

自分と向き合わされる

「強制自分と向き合う刑」「自由な囚人」みたいな感覚。(イヤではないけど)

もともと内省するのは好きだし、有意義ではあるけど、見たくない感情が見える時もあるから恐ろしくもある。(「自由に暮らすつもりだったけど、実際自分の思った通りにできてんのかな〜? できてないのかな〜?」とか)

「仕事」や「やらなきゃいけないこと」からは逃れられても、結局最後には「私」「自分」が残って、それからは逃れられないんだなぁ……死ぬまでず〜〜〜〜っと。

自由に『慣れる』練習だ!!

「じゃあ、早いうちから話しておこっ!」「今できる範囲で、自分に与えられるものは与えておこう」「自由に慣れる練習期間だ」って思って過ごすことにした。(赤ちゃんのとき以来の自由だから、ブランク長すぎて最初からうまく行かないのは当たり前ww)

(とりあえずここまでで投稿。続きはまた書く)

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